フィリップ バットン
経歴

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著書
バイオグラフィー
フィリップ・バットンは1963年4月8日にパリで生まれた。 16歳より2年間、パリのレ・アールでも評判の界隈にあるレストラン「ラ・トゥール・ドゥ・モンレリ」にて、ベルナール・ノエルに師事する。 1981年、2年間の修行の後、料理の道を続けていくことを決意。「ホテル・ジョルジュ・サンク」の料理長であるピエール・ララピディに見いだされ、彼のもとで働くことになる。ジョルジュ・サンクでは兵役の義務を果たす為1年間の中断を余儀なくされるが、帰還後も同職場に復帰し、合計で5年間、料理人としてのキャリアを磨いた。ちなみに、兵役期間中は軍の精鋭部隊である第35パラシュート連隊に所属し、タルブ、アフリカなどの地で任務を遂行する。兵役後ジョルジュ・サンクで働いていたバットンは、フィリップ・グルー氏と出会う。そして、彼の誘いにより「マノワール・ド・パリ」のスタッフの一員として迎えられることになる。 1986年、バットンは料理人としての大きな転機を迎える。グルー氏が料理顧問をしていた神戸のレストラン「ラ・バーグ」の料理長として来日することになったのだ。その後、“老練で誠実な指導者”グルー氏の要請により、彼の新しいレストラン「アンフィクレス」の料理長として働く為帰国。「アンフィクレス」は後にミシュランで二つ星を獲得した。 1989年、新境地を求め渡英を決心。湖水地方のラングデールホテルで料理長として1年間働く。その間、バットンの中では日本への熱い思いが日増しに強まっていった。そして1990年、再びグルー氏に委任され東京のロイヤルパークホテル「パラッツオ」の料理長として再来日することになる。「パラッツオ」では5年間、重要なポストを勤め上げた。その後、料理人としての豊富な経験をもとに、東京のレストラン「エブリーヌ」で指揮権をとることを決意。彼の料理は多くの人を魅了し、大きな成功をもたらした。当時の人気テレビ番組『料理の鉄人』でフレンチの鉄人・坂井シェフに勝利を収めたのもこの頃である。 1998年、自らがプロデュースしたレストラン「ル・プティ・ブドン」をオープンし、料理長兼マネージャーとして2002年までレストランの指揮をとる。レストランは評判となり、東京で注目されるレストランのひとつとなった。時を同じくして、バットンは長年共にパリ風ビストロ「ル・プティ・トノー」1号店を九段下にオープンさせる。同店のコンセプトが好評を得て、2003年に2店舗目を虎ノ門にオープン、そして2006年には3店舗目の麻布十番店をそのリストに加える。経営者そして料理長として日々多忙を極めるバットンだが、一方で日本におけるフランス料理の普及に貢献することも忘れない。 1996年には全日本フランス人シェフの会会長に任命され、8年の間会長として様々な活動を指揮した。それ以外にも、調理学校で講師を務めフランス料理のエスプリや芸術性を伝えたり、各地のホテル、ウエディングレストランからの要請に応え料理顧問を務めたりと、日本中を駆け巡っている。また、日本人の主婦が家庭で作れるようなフランス料理の本も何冊か発表している。バットンは、自分が大使となって“フランス料理とは本来誰にでも親しみやすいものだ”ということを一人でも多くの方に知って頂きたいと願っている。 1998年には、フランスの文化を広く海外に浸透させたとして、フランス共和国大統領に功績を認められ、ルパンセック農業大臣より『メリット・アグリコール賞』を授与される。


